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僕の毎日 自己紹介 カモミール人に仕えて僕の生まれた頃

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住所 〒509−6361 岐阜県瑞浪市陶町猿爪764−1−2(みずなみし すえちょう ましづめ)  

名前  保母一明 (ほぼ いちあき) TEL0572−65−2896 FAX0572−65−4308
MAIL  info@hoboshop.co.jp  
または hobo@hoboshop.co.jp

仕事 自営業(保母商店):ホテル・レストラン向け業務用食器及び雑貨関係の陶磁器の上絵付加工販売 従業員数 4人

趣味 スポーツ全般、特にゴルフ、野球(観戦、実践)が大好きです。音楽はポップス系の曲をよく聴きます。

あいさつ:こんにちわ 


じめまして、このたび*ハーブ柄の白い陶器*というホームページを作り、皆さんにご紹介します。もともと美濃焼の産地の瑞浪に生まれ育ち、家業も陶磁器の卸し業をしています。メーカー(窯焼き)で作られた製品にいろいろな柄を絵付けし、消費地に卸しています。おもに業務用の食器を中心にしていますが、業務用(ホテル、レストラン)もデザインが多様化し、一般の家庭や個人でも十分使って楽しい物に変わってきました。生地の素材をいかし新しいハーブのデザイン絵付けしてみたら、とても感じのいい出来栄えになりましたので一人でも多くの方に見ていただきたいと思いこのホームページを作ることになりました。どうぞゆっくり見てください。ご覧になったあと感想アドバイス、資料の請求などいただければうれしく思います。よろしくお願いします。

 陶器の街;陶


窯で栄える町 陶町    工場見学へ写真で見る工場見学 

トンネル窯    鞘(えんごろを積んだ台車)

 の住んでいる町は岐阜県の瑞浪市という町のという街です。まだまだ、緑が多くあり、少し足を運べば川の源流があったり、旧中山道の宿場町があったり、自然に囲まれた田舎の町です。地理的には日本の真中にあたり人口5,000人ほどの小さな町です。昔から陶磁器生産で発展してきた町で、陶器の陶と書いて「すえ」と読みます。文字通り陶磁器の町です。愛知県の瀬戸市にほど近く江戸時代以前より陶磁器が生産されていました。一時幕末の騒乱期には各地の製陶業は衰退したものの、その後の明治維新を経て近代化されて行きました。そして、1870年ドイツ人のG・ワーグナーが工業製品としてのヨーロッパの技術を伝えると、日本からもヨーロッパへ多くの技術者が渡り、製陶技術を学び日本にも近代セラミック技術が持ち帰られるようになりました。それを機会に陶磁器製品は貿易品として海外へ多く輸出されるようになりました。そしてわが街「陶町」は主にアメリカ、ヨーロッパ向けのディナー食器と、国内はホテル、レストラン向けのホテルウェアの生産で発展してきました。本当の洋食器の生産地です。最近で分野にとらわれずにいろいろな商品が作られていますが、もともとの生まれ育った「故郷」陶町の陶磁器にとことんこだわり陶磁器の中でも最も白い透明度の高い白磁を取り上げました。


 陶器のできるまで    


成型⇒仕上げ⇒素焼き⇒施釉⇒本焼成⇒検品⇒出荷 工場見学へ詳しい様子はこちら

自動機による成型    スポンジの水ぶき仕上げ    釉薬の手塗り作業

自動成型機による成型        製品のスポンジ仕上げ        釉薬(施釉薬作業)

 磁器はそのほとんどが土でできています。13世紀頃までは釉薬のない陶器がほとんどでしたが、中国の宋で学び伝えられた釉薬技術により現在の陶磁器のもとができました。そして有田を皮切りに瀬戸、美濃、京都の3地域が全国の生産の中心的存在になっていきました。美濃は生産量では日本一の地域として発展してきました。土は陶土という陶磁器用の土を使います。土練機で土を練り、円形状のものはロクロ成型で作り、変形したものは鋳込み成型で作られます。そのいずれにも石膏型というものが必要です。その型がすなわち完成品の形状そのものわけです。1度出来上がったものは、約700℃で素焼きされます。あとで釉薬をよく吸収するためです。そして釉薬を施し今度は1300℃で窯で本焼成します。この釉薬の色が陶器自体の色になります。作る工程や、さまざまな仕上げの細かい部分は人間の手が必ず必要となってきます。ここでは紹介しきれませんが、土と火と人間の手がどの生産工程でも今も多く使われています。その出来上がって行く工程をご覧になると驚かれることばかりと思います。とても感覚を大切にする仕事です。

  

  上絵付け 


*hoboshopでは1個1個手作業で陶器に絵付けをしています。*
横筆で絵の具線を引いています。 絵の具線  ボールの渕張りをしています。 絵付け作業 フタ物にハーブの絵柄を付けています。

 回紹介したハーブの柄などのものを「転写紙」と言います。皿やカップにこのいろいろな模様の転写紙を1枚ずつ貼り付けます。そして780℃程度で窯で焼きます。すると絵の具や金が溶けて鮮やかな絵柄が焼き付けられます。これもその作業のほとんどは人間の手で機械ではできません。したがって、デパートの店頭に並ぶまでには土を陶土にすることから始まり、カップに転写紙を貼る作業にいたる何十もの人間の手による工程を経て作られます。また金のラインとか絵の具線は筆で一本一本引かれてゆきす。こういった絵柄を貼ったり、線を引いたりすることを「上絵付け」と言います。今回も1個1個の手作業という点を生かしご希望により金線を入れたり、絵の具線を入れたり、また「転写紙」をこんなふうにつけて欲しいというリクエストもお請けしたいと思っています。より満足をしていただくために1個からオリジナを作ります。そんな目で眺めてもらうと一客のコーヒーカップに、一枚のプレートにも愛着が生まれます。「上絵付け」に限らず陶器全体はとても人間味の溢れる「ものづくり」の世界なのです。今回をいい機会に陶町のこと、陶器のこと、絵付けのことを知っていただきたく「見学&絵付け体験」も企画しています。

 

美濃焼きの歴史  


 阜県の東南部には美濃焼のふるさとがあります。美濃地方は豊富な陶土に恵まれて一大陶業地として発展してきました。長い歴史の中で美濃焼が大発展を遂げたのは桃山時代です。また、鎌倉時代には日本各地に,瀬戸,常滑,越前,信楽,丹波,備前のいわゆる六古窯が築かれました。室町時代には、東山文化が花開き、特に茶の湯の発達によって茶陶という新分野が登場し飛躍への足がかりが準備されていました。しかも美濃焼にとって幸いなことに、戦国時代、瀬戸から多くの陶人たちが戦乱を避けてなだれ込み、美濃の良質な陶土を得て意欲的な仕事を開始したのです。これに拍車をかけたのが茶の湯を愛好し、瀬戸及び美濃の陶業を保護奨励した織田信長や豊臣秀吉たちの武将であります。天下の統一が果たされ、世が平安を取り戻した桃山時代、千利休、古田織部ら文化的指導者が出現し、ここに志野、織部、黄瀬戸が誕生しました。以来、その技法は現代にも受け継がれ加藤唐九郎荒川豊などの人間国宝をはじめとし、多くの陶工たちに受け継がれ、今や多くの窯で焼かれています。そうした古い歴史の中で次第に量産を目的とした工業化も進み今では国内では生産量日本一となっています。

 

地図はここから   アクセス:一度来てください。      


 車  中央自動車道路 瑞浪インター下車(瑞浪〜明智線)約20分 
 電車 中央線(名古屋〜松本)瑞浪駅 明智線(バス)約40分
  隣接する土岐、多治見と合せ3市で春、秋には
美濃焼き祭りという大きなイベントがあり、特別列車も増発され たくさんの観光客で賑わいをみせます。是非、一度お出かけください。また、陶町にも陶器で出来た世界一の狛犬日本一の茶壷を町ぐるみで製作し、街づくりに一役買っています。

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